オーストラリアの東海岸、特にシドニーからブリズベンまでは、無理をしなければ食料、水、その他の補給物資に困ることは無い。一番楽な区間だと思っていたから、アウトバックに行くまでのトレーニング区間と捉えていた。トレーニング区間になったのは事実、楽だったのは嘘。この区間は道がアップダウンの連続で、何度も自転車から降りなくてはならなかった。だから、靴底はかなり擦り切れて、ボンドのような修正材で治す必要があった。それでも、自然環境が好きな僕は、日本列島改造論か、ケネジアン経済政策の為に、トンネルで穴ぼこだらけにされている日本の山より好きだった。汗だくで自転車を漕いでいる上に、車の交通も多いので、相変わらず交通事故を心配してさらに冷や汗をかいていた。
40歳の私は20歳の僕と再び旅に出る。
1993年、8ヶ月、17500キロ、携帯電話無し、インターネット無し、独り言いっぱい、自転車でオーストラリアを一周
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経歴(CV)
奥さんのブログ
2013年12月15日日曜日
2013年12月14日土曜日
2013年12月12日木曜日
[J:7] 1993年4月18日~21日 自分探しプロジェクトの終了の始まり ~再出発からの教訓~
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http://cycle93oz-en.takeshitakama.com/2013/12/e7-1993-april-18-to-21-beginning-of-end.html
特定の曲を聞くと、その曲がテーマソングになって聞いていた当時を思い出す。オーストラリアに来る前は、全く英語が話せなかったし、聞き取りも出来なかった。だから、洋楽をテーマソングにしていた時は、歌詞の内容が活動にそぐわない時が多々ある。例えば、POCOのCall It Loveを聞くと、当時、「やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる」という男臭い小説を読んで、走ってばかりいた高校二年生の冬の水泳部を思い出す。
ジョン・レノンのJust Like Starting Overを聞くと、シドニーからの再出発の頃を思い出すので、その頃、この曲をテーマソングにしていたに違いない。自転車に乗っていた時は、概してくだらない事を考えていたものだ。私は論理的で数学的な人間だと思うが、重要な事は、イメージや音で死ぬまで覚えている。今朝歯を磨いたかどうかを思い出せなくても、当時の写真を見たり、音楽を聞くと、昔の事が際限なく思い出される。大学に入って、これが試験勉強に使えることがわかり、急速に成績が伸びた。この勉強方法はまた、別の機会に話すことにして、20年前のオーストラリアの東海岸に話を戻す。
2013年12月11日水曜日
[J:6] 1993年4月18日~21日 再出発 ~ニューキャッスルから、Coffs narbour~
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1993年4月18日 レイモンドテラスの辺のfire place
朝 パン昼 パン
夕食 ライス
2013年12月9日月曜日
[J:5] 1993年4月5日~17日 「Keep riding」 ~再出発のための準備~
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http://cycle93oz-en.takeshitakama.com/2013/12/e-5-1993-april-5-17-keep-riding.html
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体も心も疲れきっていた僕は、シドニーに着いた。そして、その日は、父親の友人の家に泊めてもらった。
1993年4月5日シドニー大◯さんの家
朝 バターライス昼 サンドイッチ
夕食 大◯夫人の手料理
右手が石膏で固まっていてうまく文字が書けない。ニューキャッスルから北に40キロほど行ったところで、トラックに巻き込まれた。引きずられている時間が長く、その間に死を感じた。 救急車中から外を見ている時、来た道を戻るのは嫌だと思った。今自転車を見るのも嫌だ。
DST多分40キロメートル
ODO257.9キロメートル
4月☆日ゆ◯こちゃん誕生日
4月☆日と◯こちゃん誕生日
怪我をしても元気でファイト!
がんばってね
2013年12月6日金曜日
[J:4] 1993年4月2日~5日: 旅の始まりと、赤い自転車とのお別れ。~いきなりクライマックス~
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http://cycle93oz-en.takeshitakama.com/2013/12/e4-1993-april-2-4-beginning-of-journey.html
僕はシドニーの町を右に左に歩いた。20歳の僕は日本から出発する前は、シドニーから早く出発をしたいだろうと思っていた。しかし、初めての海外なので、色々な物を見たくなってしまった。ガイドブックは持ってこなかったので、拙い英語で観光ポイントを教えてもらいとにかく歩いた。キャンピング用品店と自転車のお店だけは、それでもチェックしておいた。
それから、親との約束の一つであった、「シドニーに住む父親の友人」に連絡して、銀行口座を開ける手続きをしてもらった。飛行機を洗って貯めたお金のいくらかはトラベラーズ・チェックと現金でもってきて、残りはシティバンクの口座入れて、オーストラリアから引き下ろせるようにしておいた。これは、飛行機を洗いに来ていた大学生から教えてもらった当時の海外旅行術だ。父のご友人にお礼を言ったら、それ以上シドニーに居る必要はなかった。だから、4月2日にシドニーのハーバーブリッジを渡って、オーストラリア一周を開始した。
http://cycle93oz-en.takeshitakama.com/2013/12/e4-1993-april-2-4-beginning-of-journey.html
僕はシドニーの町を右に左に歩いた。20歳の僕は日本から出発する前は、シドニーから早く出発をしたいだろうと思っていた。しかし、初めての海外なので、色々な物を見たくなってしまった。ガイドブックは持ってこなかったので、拙い英語で観光ポイントを教えてもらいとにかく歩いた。キャンピング用品店と自転車のお店だけは、それでもチェックしておいた。
それから、親との約束の一つであった、「シドニーに住む父親の友人」に連絡して、銀行口座を開ける手続きをしてもらった。飛行機を洗って貯めたお金のいくらかはトラベラーズ・チェックと現金でもってきて、残りはシティバンクの口座入れて、オーストラリアから引き下ろせるようにしておいた。これは、飛行機を洗いに来ていた大学生から教えてもらった当時の海外旅行術だ。父のご友人にお礼を言ったら、それ以上シドニーに居る必要はなかった。だから、4月2日にシドニーのハーバーブリッジを渡って、オーストラリア一周を開始した。
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