2013年12月21日土曜日

[J:15] 1993年5月8日~12日 僕と私の使える英語力 ~20歳からでも間に合う英語の勉強方法~


第二のマイルストーンのケアンズまでついた。ここが東海岸の最終目的地で、ここからアウトバックと言われるオーストラリアの内陸部に入っていく。次に海から朝日を見ることが出来るのは、何ヶ月も後のことになるはずだ。景色の背景に入ってくる植物も、椰子の木や真っ赤な大きな南国の花になる。ケアンズは、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代に、某建設会社が作ったといわれる大リゾート地域だ。バックパッカーズホステルでは、自転車乗りで培った大食いでスパゲッティの大食い大会を優勝したり、グリーンランドにも行って観光旅行を楽しんだ。インターネットが無いので、アナログ通信手段である三通の手紙と八通の葉書を、親、友人、そして日本でお世話になった方に書いた。僕の受取先は、数ヶ月にたどり着くはずの郵便局の局留めしておいた。数ヶ月後に、その郵便局に辿り着き、返事の手紙を受け取ることができるだろうか。

それから、これからアウトバックに入っていくので、自転車の整備と必要な装備を買い足そうと思っていたが、何も買わなかった。タウンズビルで自転車の整備をして、僕の英語が下手でうまくコミニュケーションが出来なかったためか、満足行くような整備にならなかったので、ケアンズの自転車屋に期待していなかったのも理由の一つだ。しかし、身軽であることは、人力での旅行では大切で、装備を増やさなくてよかったと思う。今だに、一ヶ月ぐらい世界中のどこかへ行く事になるとしても、手荷物のキャリーバッグだけをもって飛行機に乗る。オーストラリアの自転車旅行の頃と同じで、荷物リストを作り、本当に必要なものだけを持っていく。必要かどうか迷ったら、持っていかない。実際に入り用になったら現地で買えばいい。それは、自分への良いお土産になるはずだ。これが、バックパッカーからジェットセッターになった私の出張術。


2013年12月20日金曜日

[J:14] 1993年5月8日~12日 ケアンズに到着 ~Inghamから、ケアンズ~



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1993年5月8日土曜日 Inghamの安宿 10ドル

朝 パン、クッキー
昼 パン、バナナ、オレンジ 4.1ドル
夕食 ソーセージサンド、オレンジ、ミルク

Jam、パン 1.75ドル
オレンジ、ガーリック、ソーセージ、バター 8.1ドル
ミルク、チョコ 2.05ドル

今日は途中で手作りジャムを買った。なかなか美味しい。 さすがにここまで、北上してくると、暑くなってきた。 take a breakの度に あの暑さが来ると思うと、内陸部に入ってから心配だ。
このホテルは、バックパッカーとは、実は少し遅感じが違っている。 こういうのが本当の安宿なんだろう。ここで 会ったサイクリストとは明日会えるのだろうか。

DST 115.22 キロメートル
ODO 2,317.2キロメートル

2013年12月19日木曜日

[J:13] 1993年5月2日~7日 20歳の自由と40歳の自由 ~這いずりまわるか、禅か~


1993年の4月2日に最初の出発をしたので、その日から丁度一ヶ月経ったことになる。このあたりまで来ると、自転車で旅行するのにある程度適した道路事情になる。相変わらず、ロードトレインとそのミニチュア版が通るたびに冷や汗をかくが、大都市を離れて絶対的は交通量は減っている。しかし、旅行をしていると思われる人達は増えているように思えた。旅行の手段は、コーチ(長距離バス)、車、オートバイ、自転車がある。一番一般的な旅行は、グレイハウンドや、オージー・エクスピリエンスのコーチバスに乗って、町から町に移動するものだろう。奥さんも大学生の時に、シドニーからダーウィンまで、オージーエクスピリエンスで旅行している。話を聞いたら面白そうだったが、20歳の僕には、旅と言ったら、自分で行き先と寝る場所を、行き当たりばったりで決める事だったので、自分で運転できない公共交通機関での旅は興味がなかったし、軟弱だと思っていた。

2013年12月18日水曜日

[J:12] 1993年5月2日~7日 タウンズビルに到着 ~ロックハンプトンから北70キロから、タウンズビル~




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1993年5月2日日曜日 ロックハンプトンから北70キロメートルにブッシュキャンプ


朝 パン、夕食の残り
昼 パン、バナナ
夕食 bigなソーセージ、パン

パン、オレンジ、ソーセージ50.6ドル


今日は、クリス(40歳)&アンナ(30歳)にあった。 クリスはオージーでアンナはスイス人。 2人は一体どんな関係なんだろう不思議だ。 それにしても、 2人ともとても早い。そして若い。 自転車は、とても健康に良いのだろう。

今日のソーセージは、とてもおいしかった。 日本のとは、 比べ物にならない。そしてめちゃくちゃ安い。 明日の朝は、ぼくは早く起きるので、 2人には会えないないなぁ。 だけどきっと、 somewhere sometimeに会えるだろう。

DST 153.0キロメートル
ODO 1,546.8キロメートル


[J:11] 1993年4月28日~5月1日 コツコツの始まり ~行動パターンの形成と持久力~ 

ブリズベンを過ぎると段々と、自転車で快適に走れるようになってくる。交通量は少なくなり、道の上り下りも、シドニーを出た頃に比べて少なく、そしてなだらかになって来た気がする。しかし、実は自分の持久力が上がっただけかもしれない。

ブリズベンに到着するまでは、一日に100kmを自転車で走るのが辛く、120km走るとふらふらになっていた。しかし、この頃になると、120kmを自転車で越えるのは問題ない。150km走ることも何度かあった。しかし、前回の脱水症状から、無理をしない事を学び、ギリギリまで走ることはしなくなった。この頃には、最初のエピソードで書いた、ロボットのような一日の活動パターンが出来上がった。朝4時に起きて、夕方4時まで走る。疲れ知らずで、大量の装備と食料・水を運んでも、そのうち一日150kmを走るのが、物足らなくなってきた。しかし、4時以降は、自転車やその他の装備の修理と勉強に当てた。1993年4月18日にシドニーを再出発して、ブリズベンを出たのが4月28日なので、約2週間で持久力はついたのだろう。その頃には、背中の傷も治っていたので、全力で飛ばせるようになった。若さは素晴らしい。40歳の私が同じことをしても、こうは行かないだろう。40歳の私は数時間走ったり、サーフィンしたりすると、2、3日はなかなか疲れがとれなくなってきている。


2013年12月16日月曜日

[J:10] 1993年4月28日~5月1日 ブリズベンを出発 ~ブリズベンから、Mt. Larcom~



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1993年4月28日 Gympieから南に10キロ位の キャラバンパーク 6ドル


朝 パン、卵、ミルク
昼 パン、ミルク、オレンジ、バナナ
夕食 コーンとハムのカレーピラフ 3ドル

クレープ 2ドル

今日もキャラバンパークにとまってしまった。少し、お金をセーブしなくてはいけないのに。

しかし、汗をかくと、シャワーを浴びたなってしまう。 東京では、銭湯が320円だったのを思うと、 6ドルも安いかな、いや高い。 これは…どうしよう。

DST 157.0キロメートル
ODO 984.0キロメートル

2013年12月15日日曜日

[J:9] 1993年4月22日~27日 旅行の定義の再定義  ~経験から得られた知識~


オーストラリアの東海岸、特にシドニーからブリズベンまでは、無理をしなければ食料、水、その他の補給物資に困ることは無い。一番楽な区間だと思っていたから、アウトバックに行くまでのトレーニング区間と捉えていた。トレーニング区間になったのは事実、楽だったのは嘘。この区間は道がアップダウンの連続で、何度も自転車から降りなくてはならなかった。だから、靴底はかなり擦り切れて、ボンドのような修正材で治す必要があった。それでも、自然環境が好きな僕は、日本列島改造論か、ケネジアン経済政策の為に、トンネルで穴ぼこだらけにされている日本の山より好きだった。汗だくで自転車を漕いでいる上に、車の交通も多いので、相変わらず交通事故を心配してさらに冷や汗をかいていた。

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