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オーストラリアに話を移す前に、もう少しプロローグを書かせてほしい。今回は、渡航費用の捻出の話だが、「労働」と「人付き合い」の教訓であり、このナイフの話だ。
前回、両親の了解を取った話を書いたが、その頃には既に準備は進んでいた。渡航資金を貯める事をまず、一番初めに始めた。
4月に出発するために、半年で150万円ぐらい貯める必要があった。情熱はあったが、技能と経験がないので、半年で150万円貯めるには、きつい肉体労働しかない。酒屋のバイト程度では、とても半年で150万円貯めることができない。一日一万円以上稼げる夜の仕事を探していた。「羽田空港での航空機機体洗浄」のバイトを見つけた。僕が住んでいた木造モルタルの三楽荘は羽田空港の近くにあり、そのバイトは日給一万円以上で、無料で風呂を使えた。金無し風呂無しの僕のニーズにピッタリだ。すぐに公衆電話からバイトの申し込みをした。「その日もしくは次の日から来てくれ」と言われて、渡航資金を作り始めた。
拘束時間は、夕食後から、明け方ぐらい。オートバイに乗って羽田空港に行き、一晩約8時間ぐらいで、8人ぐらいと飛行機を二機洗う。大体、B4と言われるジャンボ機一機と、B3と言われる小型機が一機。B4を2機洗うとなると、残業と称して少し日給が上がったと思う。下っ端の僕は、アルミで出来た目測5メートルぐらいのモップを使い、下から機体を洗う。汚れが酷い時はケロシンを使う。ケロシン用のモップは短めだが、木製で出来ているためすごく重い。これらのモップを釣りの素振りの様に、前後に数時間振り続ける。
その間、カッパを着て、ヘルメットに防御ゴーグルを着用する。上からは消防用のパイプから放たれた水が大雨のように降りかかってくる。そんな状況の真冬の深夜でも、暑くてカッパを脱ぎたいぐらいの重労働た。そんな仕事なので、普通の人は数日で辞めてしまう。
僕は、ドジなので、最初は失敗ばかりで先輩方に迷惑をかけて怒られてばかりだったが、絶対に休まなかった。昼は昼で勉強や他の仕事をして過ごす。眠いが、頑張って週末も平日も毎晩羽田空港にやってくる。飛行機を洗いお終わって、職場の風呂に入って、バイクの乗って、150円で「焼きたてトースト&コーヒー食べ放題飲み放題」のコンビニで、厚切りトーストを7枚食べて、三楽荘に帰る。そして、倒れるように2時間から3時間寝る。トイレに行きたかったが、共同トイレに行くエネルギーが無くて、寝てしまったこともある。これは睡眠欲が排出欲より強いことがあることを証明している。朝起きると、指が動かなかった時が多かった。落合博満氏は現役時代に素振りのし過ぎで、手が開かなくなった事があるそうだが、同じようなものだと思います。無理やり指を開け閉めして、手が動かせるようにして、昼の活動をする。そんな毎日だ。
飛行機を一台洗うたびに、「これに乗ってオーストラリアに行くんだ」を言い聞かせていた。19歳の僕には、毎週大金が入ってくるのは嬉しかったが、この時「技術が無い肉体労働で稼げる金額は限られている」事を学んだ。昼も夜も働いて、3時間以上寝ないし、家賃以外にほぼ支出が全くない状況でも、一ヶ月に25万円以上貯金することは難しかった。24時間以上一日の時間を持っている人はいない。この努力を勉強に費やして、時間給を長期的に上げる方が良いことをこの時に悟った。これが、オーストラリア旅行の後に、大学に行く事を決めた大きな理由の一つだ。大学に行く資金を貯めるために、長距離トラックの運転手等もしなくてはならなかったですが、ニュージーランド学部時代も、オックスフォードの大学院時代も、バイトはほとんどせずに、努力は勉強に徹底的に集中した。おかげ様で、当時よりは効率よく収入を得ることが出来るようになった。
話を、飛行機の洗浄に戻す。自分は「大器晩成型」を信じているので、どんなに怒られてても、体がだるくても、毎晩飛行機を洗いに行った。小学生の時に、占い師が家に来た。彼に、「君は友人が多いね。大器晩成だよ」と言われた。何をするにしても、僕はこの事を信じて行動する。だから、最初に失敗ばかりでも、僕は諦めない。最後には、いつも誰よりもうまくやれる。オーストラリア旅行にしても、勉強にしても、研究にしても同じだ。そして、この飛行機洗浄も同じだ。先輩方に認められるようになり、新しく来た人の指導などもさせてもらえるようになった。休憩時間に色々な話を聞かせてもらったり、オーストラリア旅行の計画を話すようになった。
そして、僕の事を噂していることが聞こえてくる。「あいつは一体いつまで続けるんだ」。先輩方から、「鉄人」と影で言われていたそうだ。そんな記録が本当にあるかどうかわからないが、初出勤から48日間休まなかったのは記録だと、初めて休みを取った時に言われた。休みを取ったのは、両親にこの旅行に承諾をもらいに行ったため。だから、セロハンテープでつなげたオーストラリアの地図を持って、大プレゼンテーションをした時には、既にかなり計画は進んでいた。
飛行機洗浄の仕事も、多くの変わった方に会えた貴重な経験だった。飲み屋を7件潰した事業家、休憩室に住み着いて博打に全てをつぎ込んでいるもみあげの長いおじさん、バイクで旅行するつもりが3年間居座っている中年ライダー、ナイフ・オタク、「一流企業に就職する前に、底辺の人間を観察するために」バイトに来ていた大学生、「僕は青◯大学生だから、君より正しい」と言った象牙海岸という国も知らなかった先生志望の大学生、暇つぶしに来ていた宮大工の跡取り、自分を変えたくて警備員から転職してきて、僕に「死ぬ気でやってみろ」を言われてしまった20代後半の男性(ごめんなさい)、大学受験を失敗して、流れてここに来た「イバラの道を好んですすむ」いい人。
最初は厳しかったけどみんないい人だった。そして僕も含めてみんな変わった人だった。彼らと休憩時間に話をするのが大好きで、それが僕を毎晩羽田空港に向かわせた理由の一つでもある。そして、ここでも学んだことがある。それは、人を外見や経歴で選りすぐって付き合わないほうが、面白いということ。どんなに偉くなっても、「人を差別しない」を決めた時だった。
結局、予想外の支出があり、150万円は貯められなかったが、オーストラリアを自転車で一周するには充分の資金を得られることが出来た。これも、羽田空港で一緒に働かせてもらったみんなのお陰だ。この場を借りて、お礼を言わせてください。
ありがとうございました。
冒頭写真の、餞別で頂いたビクトリーノックスの十徳ナイフは今でも僕といっしょです。
>週末も週間も →平日も、>一月に25万円以上貯金することは→1ヶ月、>大学に資金を貯めるために→大学資金を、>運転手等もしなくてはならかったですが→ならなかった、>僕はこの事信じて行動→この事を、>先輩方からに→先輩方から、
返信削除ありがとうございました。修正しました。また、よろしくお願い致します。
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