2013年12月9日月曜日

[J:5] 1993年4月5日~17日 「Keep riding」 ~再出発のための準備~

English version is here!(英語版はこちら)
http://cycle93oz-en.takeshitakama.com/2013/12/e-5-1993-april-5-17-keep-riding.html


体も心も疲れきっていた僕は、シドニーに着いた。そして、その日は、父親の友人の家に泊めてもらった。


1993年4月5日シドニー大◯さんの家

朝 バターライス
昼 サンドイッチ
夕食 大◯夫人の手料理

右手が石膏で固まっていてうまく文字が書けない。ニューキャッスルから北に40キロほど行ったところで、トラックに巻き込まれた。引きずられている時間が長く、その間に死を感じた。 救急車中から外を見ている時、来た道を戻るのは嫌だと思った。今自転車を見るのも嫌だ。

DST多分40キロメートル
ODO257.9キロメートル

4月☆日ゆ◯こちゃん誕生日
4月☆日と◯こちゃん誕生日
怪我をしても元気でファイト!
がんばってね




大◯さんは日本の大手自動車会社に務めておられ、世界各国を赴任されている。大◯さんはいにしえの時代に某四輪駆動車をアフリカ大陸を売ることで活躍されていた。父親の同級生ということは、今の40歳の私より少し年上だっただけだと思う。「砂漠の周辺を四駆で走るには、予備のガソリンタンクを積んでいないといけないんだよ」と、40歳の私が若い人に昔話をするように、彼は20歳の僕にもアフリカの話を聞かせてくれた。そして、オーストラリアを自転車で周るギラギラした僕の話を聞いてくれた。自分の子供でないからか、彼がアフリカ大陸でよりきつい経験をしているからか、大◯さんは僕の旅行計画を反対せずに応援してくれた。理由はなんでも良い。心が折れそうな時は、理由が無くても「大丈夫。大したことないよ」と後ろを押されることが必要だ。

失敗したっていい。諦めずに、もう一度立ち上がって、前に進めば何かをつかむはず。それでも、今回のように大きく挫折した時は、前に進みづらい。20歳の僕は、「人間って弱いよね」って言う奴が居ると、「違うよ。弱いのは人間ではなく、自分だよ」と答えていた。飛行機を洗う仕事の休憩室では、こういう言葉をポケットサイズの白い手帳に書き留めて、よく眺めていた。それは親父にもらった手帳だった。

背中は仰向けに寝れないぐらい削れていて、右手は石膏で固定されて、自転車はもうない。今回は、弱い自分が出てきそうだった。でも、大◯さんと話していると、全て大したことでは無いようにおもえてきた。背中を押してもらったのだと思う。

かわいい小学生の二人の娘さんも応援してくれた。



ちなみに、これが1993年4月5日の事故後に、石膏で固定された右手で書いた日記だ。元々、私の手書は汚いのだが、自由が効かないので、小学生以下の達筆な文字だ。



とにかく、やる気が出てきた。

「このまま日本に帰るわけには行かない。」

日本のテレビ番組も見せてもらった。自分の親にも電話させてもらった。親に電話して、高校時代の英語の教科書「英語構文II」と、何か英会話の本を送ってもらうように頼んだ。事故にあって、心底英語を勉強する必要があることを学んだ。それこそ、死ぬ気で学ばなくてはならない。そうしないと、次は死んでしまうかもしれない。

自転車も新たに買わなくてはならない。残りの荷物も取りに、事故現場まで戻らなくてはならない。怪我も直さなくてはならない。とにかく、一つづつ進んでいけばいい。自己啓発サイトでは、効率よく目的地に着けるような「人生のワープ航法」を教えている。しかし、若い時は、「ワープ航法」なんて出来ない。そんなことより、コツコツと一つづつ出来る事を進めていけば良い。

次の日、僕はキングスクロスのストリップ小屋の裏にある安宿に移った。バックパッカーズと書いてあったが、二段ベッドが3つおいてある古い家の一室で、その他の設備はない。三楽荘と同じで、共同トイレだ。シャワーがあるだけ、三楽荘より良いかもしれない。ジャンキーがドアを蹴破って入ってくるような所だ。とにかく、再度オーストラリアを自転車で一周する準備をし始めた。その間、この部屋に泊まりに来た外国人と、少し観光をしたり出身地の話をした。世界が巨大であることに気づいてしまった。オーストラリアを一周することは、人生の目標にはならない。これが終わったら、新たな目標が出てくる。だから、一つづつプロセスを楽しんで進んでいけばいい。



1993年4月7日 kings crossバックパッカーズ 週10ドル

朝 パン、ハム 4ドル
昼 サンドイッチ、ピザ 6ドル
夕食 卵ライス

今日は上のベッドで寝ているドイツ人のフレッドとイースターシヨーに行く。 フレッドは女の子のファッションショーが気に入ったようだ。2回も同じショーを見ているのだから、 どの国でも男の考えること同じだ。 ぼくは斧のショーが気にいったが、日本では危険すぎてあんなショーはしないだろう。



1993年4月8日 前日と同じ

朝 パンとタマゴ
昼 ニューサウスウェールズ大学の学食4ドル
夕食 パン、オレンジ、ミルク4ドル
キャンピング用品 32ドル
バス代 5ドル

今日ほど頭にくる日は、久しぶりだ。トラックドライバーの保険がきかないというのだから。 ふとユーリー海老原のタイでやった試合を思い出してしまった。 ホームタウンルールか… 。

だけど来週の木曜日にジェニー( ニューサウスウェールズ大学 )の家に遊びにことになった。



1993年4月9日 前日と同じ イースターホリデー

朝 パン、卵、オレンジ
昼 ロールパン、チップス、コーン 2.5ドル
夕食 ライス
電車代 20ドル

今日はレイモンドテラスの ポリスステーションに自転車を取りに行った。ここの地名はきっと忘れることはないだろう。黄さん、別れ際にくれたパンおいしかった。


1993年4月10日 前日と同じ

朝パン
昼ラムケイバー $3.60
夕食 ライス、チキン、オレンジ

コーン30セント、
マッシュルーム9ドル、
自転車前金$200ドル、
ノート、チョコ$4、
洗濯$2.4

シドニーの自転車に、自転車を持っていった。僕の新しい自転車はマウンテンバイクに、僕のツーリングタイプを混ぜた感じで、色も紫なのでまるで暴走族のよう。気分は イージーライダーだぜ 。


1993年4月11日 前日と同じ

朝 パン、卵、オレンジ
昼 コーン、オレンジ、ミルク 5.45ドル
夕食 チキンのクリームシチュー
今日は本当に何もすることがなくて暇だった。 親に電話をして怒鳴って悪かった。
あまえは拾うな捨ててしまえ。



1993年4月13日 前日と同じ

朝 たまご、パン、ミルク
昼 なし
夕食 変なソーセージ
9ドル

英語は話せなくてはならない。そのおかげで、今日何万円も損をしてしまった。Insuranceについてだ。右の上のベッドのマーチンがイギリスの温度とトラフィックについて説明したものだ。 彼はこの絵をアートと言っていた。


1993年4月14日 前日と同じ

朝 ソーセージ、パン、チーズ
昼 ミルクセーキ 1.6ドル
夕食 キャベツ

コーンフレーク、パン $3
自転車 851ドル

今日、とうとう自転車を手に入れた。頭がはげた店員と3度目のコミュニケーションをしたが、 お互いにイライラしてるようだった。英語話せるように ならなくては。



数日後、石膏を付けたまま、事故現場周辺の警察署に自分の自転車と荷物を取りに行った。20歳の僕は、レイモンドテラスという地名を忘れないだろうと書いていたが、私はすっかり忘れていた。読んだら、思い出した。黄さんには本当に感謝。この旅では、彼を含めて多くの人にお世話になっている。

僕の英語が下手くそのため、どういう理由かはわからなかったが、トラック運転手の保険は使えなかった。日本で加入した海外旅行保険を使うことにした。父親が選んで僕が支払った保険は、10万円で死亡保険が1千万もついていた。その為、出発前に父親と一悶着が有ったが、今回の一件で元がとれてしまった。お父さん、ありがとうございます。

僕の真っ赤な国産自転車は、もう乗ることが出来ないが、新しい自転車を買うための下取りに出した。シドニーの自転車屋さんには、使い物にならないと言われたので、ベダル等の使えるバーツは新しく買った自転車に移植した。新しい自転車は、Giantの27インチの紫色のクロスバイク。今回も、シドニーの「町の自転車屋さん」と一緒に選んだ。僕は、「気分はイージーライダーだぜ」と乗り乗りなので、やる気満々だ。三楽荘でルビコン川を渡ってから、僕の中に撤退する考えはなかった。それが良くも悪くも「20歳の僕」だ。禿げた店員さんには迷惑をかけたが、オーストラリアを自転車で一周する意気込みは伝わったようで、真っ赤なサイクル・ジャージをくれた。

そして、4月16日に石膏のギブスを外す。


石膏はこの10日間に会った人に落書きされていた。

「Keep riding」

その通りだ。一日一日、行けるとこまで行く。

今もそう。

この頃には、腕は全く痛くなかったので、腕が折れているとは思っていなかった。先生には、「2週間は石膏を外してはいけませんよ」と言われていたが、もう待つことは出来ない。病院に行って、外してもらった。

新しい自転車が手に入った。右腕は自由になった。背中と腰の傷は完全には治っていないがが、これは僕をシドニーの小部屋につなぎとめておく理由にはならない。


1993年4月16日 前日と同じ

朝 パン
昼 パン
夕食 あのソーセージとキャベツ

ボンド、ゴム草履 5ドル

ようやく今日右手のギブスが取れて、自由になった。あと僕の気持ち 1つで出発時が決まる。あの気持ち悪いソーセージも食べてしまったことだし明日か、明後日に出発しよう。


1993年4月17日 前日と同じ

朝 パン、オレンジ
昼 コンフレーク
夕食 カレーライス

石鹸、シャープペン 5ドル
パン、缶詰、ミルク 13ドル

明日の朝出発することに決めた。2週間近く住んだこの部屋ともお別れだ。



さあ、もう一度始める時がきた。

6 件のコメント:

  1. 「20歳の僕」が目に見えるような光景ですね。変なソーセージは想像がつきませんが。
    気づいた訂正箇所です。
    >かわいい小学生の二人の娘さんも応援してくれます。→応援してくれた。
    >石膏で固定された右手で書いた日記です。元々、私の手書は汚いのですが、自由が効かないので、小学生以下の達筆な文字です。→です、ますの訂正。
    >三楽荘と同じで、共同トイレです。→トイレだ。
    >読んだら、思い出しましたけどね。→読んで思い出した。
    >。父親が選んで、僕が支払った保険は、10万円で、死亡保険が1千万もついていた。→点が多すぎるような気がします。父親が選んで僕が支払った保険は、10万円で死亡保険が1千万もついていた。
    >シドニーの自転車屋さんには、「使い物にならないと言われた」ので、→「使いものにならない」と言われたので、
    >真っ赤のサイクル・ジャージをくれた。→真っ赤な
    >その通りです。→その通りだ。
    >小部屋につなぎとめておく理由にはならない。→ならなかった。


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    1. いつもありがとう。最後の箇所以外は、修正しました。また、よろしく!

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  2. お兄さんを知っているからか、なんとなく20歳のたけさんが想像できます。
    読めば読むほど心がわくわくしたり、そわそわしたり、笑ったりいろんな感情がこみあげてきます。
    たくさんの人に見てもらいたいです。

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    1. りかさん、ありがとう。ご無沙汰してます。僕も今度がどうなるかワクワクしながら、書いています。20歳の僕が何を考えていたのか忘れていることがあります。

      みんなに見てもらえると、それは励みになります。共有してくれるなら、この最初のエピソード
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      それでは、またね。よろしく!
      たけし

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  3. ゆうじですよ〜 ゆっくりですが読んでます (^^)教授は面白い人です

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    1. ゆうさん、読んでくれてありがとうございます。ゆっくりでいいですよ。引き続きよろしくお願い致します。芸達者のゆうじさんにはかないません。(^^)

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