第二のマイルストーンのケアンズまでついた。ここが東海岸の最終目的地で、ここからアウトバックと言われるオーストラリアの内陸部に入っていく。次に海から朝日を見ることが出来るのは、何ヶ月も後のことになるはずだ。景色の背景に入ってくる植物も、椰子の木や真っ赤な大きな南国の花になる。ケアンズは、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代に、某建設会社が作ったといわれる大リゾート地域だ。バックパッカーズホステルでは、自転車乗りで培った大食いでスパゲッティの大食い大会を優勝したり、グリーンランドにも行って観光旅行を楽しんだ。インターネットが無いので、アナログ通信手段である三通の手紙と八通の葉書を、親、友人、そして日本でお世話になった方に書いた。僕の受取先は、数ヶ月にたどり着くはずの郵便局の局留めしておいた。数ヶ月後に、その郵便局に辿り着き、返事の手紙を受け取ることができるだろうか。
それから、これからアウトバックに入っていくので、自転車の整備と必要な装備を買い足そうと思っていたが、何も買わなかった。タウンズビルで自転車の整備をして、僕の英語が下手でうまくコミニュケーションが出来なかったためか、満足行くような整備にならなかったので、ケアンズの自転車屋に期待していなかったのも理由の一つだ。しかし、身軽であることは、人力での旅行では大切で、装備を増やさなくてよかったと思う。今だに、一ヶ月ぐらい世界中のどこかへ行く事になるとしても、手荷物のキャリーバッグだけをもって飛行機に乗る。オーストラリアの自転車旅行の頃と同じで、荷物リストを作り、本当に必要なものだけを持っていく。必要かどうか迷ったら、持っていかない。実際に入り用になったら現地で買えばいい。それは、自分への良いお土産になるはずだ。これが、バックパッカーからジェットセッターになった私の出張術。
それから、ケアンズは日本人が多かった。当時、ケアンズの小学校は日本語を教えていたし、日本人コミュニティも大きかっただろうから、彼らの多くは英語を話す必要もなかったかもしれないし、話せないと聞いた。僕の英語も他人のことは言えず、相変わらず下手くそで、通じなくて悔しい思いをした事が多かったが、それでも諦めずに人に会えば必ず話しかけていたし、話しかけられていた。幸い、僕は若く見られるので、東洋人の子供が、大きな荷物を自転車に積んでクインズランドの田舎町に居るのは珍しかったのだろう。彼らの好奇心はだいたい同じで、会話の内容も大体同じような感じだった。
オージー(オーストラリア人):「どこから来たんだ?」
僕:「日本から来ました。」
オージー:「どこに行くんだ?」
僕:「オーストラリアを一周しています。」
オージー:「なんでそんなことをしているんだ?」
僕:「オーストラリアを一周しています。」(質問を理解していない)
オージー:「オーストラリアは大きいんだぞ。」
僕:「はい、知っています。」
同じことを繰り返し話す事が、英会話の練習の鉄則だろう。うまく、会話が成り立たないこともあったが、シドニーに着いたばかりの頃は、「I am a pen. This is a boy.」のレベルだったので、それでも自分の英語が進歩しているのが感じられた事は、テントの中で英語の勉強をする励みになった。1993年4月30日には英語の発音が悪くて、Zippoオイルが買えず、1993年5月11日には、フルーツの発音に困っているが、今だにこれらの単語がうまく発音できる確証はない。私は世間体を気にしないためか、日本語は今だに尾張弁だし、英語の発音も真剣に勉強してこなかった。
発音が悪くて恥ずかしい思いをすることは多々あるが、大したことはない。クインズ・イングリッシュは獲得できなかったが、ネイティブでない国際人が話す国際英語はそんなものだ。インド人やシンガポール人の英語も独特で聞き取りにく時があるけど、何の問題もない、そんなものだ。日本人が「日本人に話す英語」に一番厳しいとおもう。英語はタダのコミニュケーション・ツールで話をしたい内容が伝わればいい。事実、インターネットが発達してリモートで仕事をすると、メール、チャット、レポートを書く機会が増えて、英会話より、読み書きの方が大事になる。そして、読み書きの英語は文字として残るので、流れ去っていく英会話と違って、間違いが許されない。だから、学校で学んだ文法と知的なボキャブラリーを増やすことが一番大事だ。このオーストラリアの旅行で、スラングばかり覚えようとした日本人に何人も会ったが、ジャンキーの友達を作る以外の役にたったのだろうか。日本語でも、「うんこ」や「あほたれ」ばかり連発していたら、同じことを言う友人しか集まらないだろう。僕はスラングには全く興味がなかったので、コツコツと高校時代の教科書で文法を勉強して、雑誌と辞書でボキャブラリーを増やしていった。
ただ単に、発音が苦手な負け惜しみだったかもしれないが、同時から、「英語はタダのツールで、内容が大事」と言い聞かせていたのを覚えている。だから、伝えたい内容が無い日常英会話の勉強より、伝えたい仕事の内容を学び経験することの方が大事だと思う。そして、必要に迫られて英語は使えるようになってくる。具体的には、独学で大学に留学できるぐらいの英語力をつけて、大学に留学するとか、外資企業に就職すれば、自分の専門分野の知識と英語力が付く、そして「なにクソ!」の根性も付くはずだ。おっと、スラングは禁止でしたね。
とにかく、駅前にしろ、海外にしろ、語学留学だけで、たいして勉強せずに英語が話せる様になった人を僕は知らない。別の言い方をすれば、英語学校に行かなくても、語学留学をしなくても、20歳からコツコツと勉強をすれば、イギリスの組織に属して、英語ネイティブを相手に、議論できるぐらいにはなれる。オーストラリアでは、テントの中で独学して、日本に帰ってから夕食後に丸善で買ってきた日本語が載っていないバロンズの英語の参考書と、NHKのラジオプログラムで独学した僕がいうのだから間違いない。そういえば、サーフィン雑誌も、オーストラリアに行った時から使っていたデイリーコンサイス英和・和英辞典を片手に、英語のSurfer Magazineを読んでいた。あの辞書は学部時代まで使っていたが、どこに行ったのだろう。
結論として、大人になってから英語をマスターしたければ、発音は諦めた方がいい。機会費用として、発音やスラングなんかをマスターすることに時間をかけるより、きちんとした文法を学んだほうが良い。そして、自分の分野を英語で勉強してボキャブラリーを増やし、素晴らしい内容が話せる非日常英会話に特化するべきだろう。
もしかしたら、ロードトレインに一度ぐらい轢かれて、死ぬ気で勉強する必要性を知らなくてはならないかもしれない。冗談です。
>ロードトレインに一度ぐらい轢かれて、死ぬ気で勉強する必要性を知らなくてはならないかもしれない
返信削除ただでは起きない、の最たるものですね・・・
いや~お目が高い。実は最後の一文は、冗談でなく大真面目です。インドネシアに来ようとしているお友達にも、お伝え下さい。
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