2013年12月25日水曜日

[J:17] 「出来る」と信じれば転ばない ~アウトバックの道路状況~

アウトバックに入ってきたので、この広大な地域の説明を少ししたいと思う。今回は特に、アウトバックの道路事情について書く。これは、1993年の経験なので、今とは違っているかもしれないので、今から自転車でオーストラリアのアウトバックに向かう方は、グーグル・ストリートマップでも参考にしたほうがいいと思う。シンクタンクのレポートを読むと、本文に関係ない説明文が枠で囲った中に書かれていることがあるが、これはそのボックス記事の一ついう事にしておく。

アウトバックとは、オーストラリアの内陸部に広がる不毛地帯のことを指す。オーストラリアの人口の2268万人の90%以上は自然環境の素晴らしい沿岸域にすんでいるので、オーストラリアの大部分には人がほとんど住んでいないことになる。それでも、オーストラリアの2つの重要産業である観光と鉱山の為に人が住んでいるところも多少ある。その為、日本の放送大学の様な通信教育(School of Air)や、飛行機を使った医療サービス(Flying doctor)を使い、インフラを整備する代わりにリモートでサービスを提供している。中途半端に多数の人が遠隔地に住んでいると、シベリアの都市の様に、インフラ整備にお金がかかることになるが、アウトバックには本当に少数しか住んでいないので、財政面からしても、リモートでサービスを提供できる状況はオーストラリア政府にとっても良かったのかもしれない。



この通信教育は1951年、医療サービスは1928年から行なわれている。それまでは、アウトバックに住んでいる人たちは、文明人が受ける当然の教育と医療を受けることは出来なかったはずである。通信教育は長距離通信の為の、短波電波で行なわれていたようだが、今は人工衛星を使ったインターネットを通じて行なわれている。20歳の僕が、自転車で一周していた頃は、まだ短波の電波で先生と生徒が何100キロ離れた所から、お互いの顔を知らないままガサガサと雑音を挟みながら、授業を行っていたことだろう。

オーストラリアのアウトバックで、万人が「冒険」と呼ぶにふさわしい未知の土地への旅は、1950年代まで続いていたが、アウトバックの旅は、一般の文明人には、現在でも冒険なのかもしれない。アウトバックで一番象徴的な道は、アデレードからダーウィンに抜ける大陸中央突破のスチュワート・ハイウェイだろう。

この道を一番簡単に説明するは、イカツイ肩パットをつけてボウガンを持っている人たちを無視して、マッドマックス2で有名なカーチェイスシーンを思い出せばいい。道は永遠に続き、車に乗っていればハンドルを回すのはガソリンスタンドに入る時か、カンガルーの死体と避けるときだけだ。景色は殆ど変わらず、車を止めて「はい!チーズ」なんてやっている観光客を見たことはない。



自転車で走らないとわからないだろうが、スチュワート・ハイウェイにかぎらず、オーストラリアの中心部のアリス・スプリングスを頂点した道は比較的なだらかであるが、アップダウンが激しいところもある。大きい道を走る分には、舗装はしっかりとされていた。自転車では、なだらかな舗装と荒い舗装では、室内プールを泳ぐのと、波が高い外海を泳ぐぐらい疲労度が違ってくるので、そんなことを覚えている。自転車で走っている時に、何度も道路の修理に出くわした。自分も、何十キログラムの荷物と、何十リットルの水を積んで、自転車を「えっこらえっこら」とこいでいたのだが、僕から見ても炎天下での道路工事は大変そうだった。僕に無関心の人もいたし、応援してくれる人もいた。だから、舗装が荒かったとしても、文句をいう気分にはならなかったと思う。(今後日記を読みなしたら、道路の愚痴が出てくるかもしれないが、私はそう覚えている。) 

ハイウェイを自転車で走っていても、100キロメートルに一件は、ガソリンスタンドがあり、食料や燃料は調達できたと思う。その間に、Rest areaと呼ばれる小さい駐車場の様な場所があり、そこでは巨大なウォーター・タンクから水を補給できることがあった。そのうち書くが、水の補給が500キロメートルできない所も実はあった。ウォーター・タンクの水が井戸水でなく、雨水だった時は、そのぬるい水と神様に感謝した。井戸水の場合、ミネラルが濃く、最初の頃はお腹を壊した。色が茶色かったり、明らかに塩味がするものが有ったが、それ以外に選択が無いので、与えれた物を受け入れるしかなかった。人生は時にしてこんな物で、どうにもならない事に愚痴を言い続けるより、あるものをありがたく受け取った方が、幸せである。それが、20歳の僕に出来ていたとは、今の私を見ても思わないが、慣れというか僕の専門分野である適応能力というか、いつしか茶色い水を見ても、それほどがっかりしなくなったと思う。体はもっと素直で、お腹もいつの間にか壊さなくなった。

ハイウェイから一歩離れると、未舗装路が多くあった。北西部に至っては、ハイウェイでさえ、未舗装路があった。荷物を積んでいないオフロード仕様の自転車には、未舗装路は楽しい遊園地だが、交通事故時にエアバッグになるほど荷物を積んでいる自転車には、未舗装路は修行道場になる。ブログの表紙になっている様な石がむき出しになった岩砂漠道、洗濯板の様なデッコボコ道、砂道、泥道に関わらず、未舗装路では止まらないことが一番の走行テクニックだった。止まったら、再発進はそれは大変だ。そして、道場の規則は、「転ばない」を強く信じること。転ぶ前には、必ず「だめだ、転ぶ」と思ってしまう。そして、「転ばない」を強く念じていると、砂地にタイヤが取られて、後輪がクルクルと無意味に砂を巻き上げていたとしても、何とか持ち直す時もあった。ダメな時も有ったが、その時は、転ぶ0.1秒前に「だめだ、転ぶ」と思っていたはずなので、僕の理論は正しい。最低、僕と息子にはこれでいいはずだ。

このエピソードを書いている今日は2013年のクリスマスの夜で、長男はサンタさんから、自転車をもらった。運動神経の良い息子は、初めて自転車に乗ったがすぐに乗れるようになった。しかし、芝生の坂道が登れなくてイライラしだした。普段、負けん気が強いように見えない息子は、

「絶対にやる。ネバー・ギブアップ」

と言い出した。

「ほー、珍しい。最後まで付き合おう」と、息子の練習の手助けを続けた。かなり疲れてきて、息子は「出来ない。出来ない。」を連発するようになってきた。そこで、一息ついて、上に書いた「だめだと思ったら転ぶ」話をした。彼は、私の理論には同意しないながら、「出来ない」は封印して、「絶対出来る」と言ってからベダルを踏み出すことに同意した。そして、後ろから「出来る。出来る。」と連呼してやった。そしたら、坂の一番上までいけてしまった。行き過ぎて、壁にぶつかってしまったぐらいだ。

これで、僕と息子でサンプル・サイズは2つ。統計的に有意ではないが、「出来ると信じていれば、未舗装路を自転車で走っても転ばないこと」が学術的に証明できたのでは無いかと思う(笑)。これは、人生でも似たようなものだと思う。「出来る」と信じていても、失敗することもあるが、その時はもう一度立て直して挑戦すればいい。最低、「出来ない」と信じていては何も出来ないはずだ。



ちなみはここはVilla Takamaの庭です。メリークリスマスと言うことで、ちょっと奥さんの宣伝をしときます。失礼します。それでは、良いクリスマスを!

3 件のコメント:

  1. >与えれた物を受け入れるしかなかった。人生は時にしてこんな物で、どうにもならない事に愚痴を言い続けるより、あるものをありがたく受け取った方が、幸せである。
    あー仰る通り。。私は愚痴はあまり言わないけれど、それを排除してしまう所があるなぁ。。確かにありがたく受け取るべきことも多い。

    >「出来る」と信じていても、失敗することもあるが、その時はもう一度立て直して挑戦すればいい。最低、「出来ない」と信じていては何も出来ないはずだ。

    司馬遷の史記みたい。史記は、エピソード&学び。読み手はエピソードを読んでいるからそこからの学びがスッと入ってくるし、記憶に残るんですよね。飾らない、奢らないところが好きです。20歳の高間さんが飾っているのを、40歳の高間さんが指摘していたりするのもまた、面白いです。

    あと、日本語上達しましたね。(@_@)

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    1. 日々是良日で、「ありがたく」受け取ることができたらなあ~とよく思います。

      日本語を褒めていただきありがとうございます。最近は英語ではなく、日本語で小説を読むようにしています。インプットが無いとアウトプットが難しいですからね。でも、砂漠編の頃の20歳の僕の文章力には、まだまだかないません。修正の効かない手書きでよくそこまで書いていると我ながら感心します。

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