2013年12月18日水曜日

[J:11] 1993年4月28日~5月1日 コツコツの始まり ~行動パターンの形成と持久力~ 

ブリズベンを過ぎると段々と、自転車で快適に走れるようになってくる。交通量は少なくなり、道の上り下りも、シドニーを出た頃に比べて少なく、そしてなだらかになって来た気がする。しかし、実は自分の持久力が上がっただけかもしれない。

ブリズベンに到着するまでは、一日に100kmを自転車で走るのが辛く、120km走るとふらふらになっていた。しかし、この頃になると、120kmを自転車で越えるのは問題ない。150km走ることも何度かあった。しかし、前回の脱水症状から、無理をしない事を学び、ギリギリまで走ることはしなくなった。この頃には、最初のエピソードで書いた、ロボットのような一日の活動パターンが出来上がった。朝4時に起きて、夕方4時まで走る。疲れ知らずで、大量の装備と食料・水を運んでも、そのうち一日150kmを走るのが、物足らなくなってきた。しかし、4時以降は、自転車やその他の装備の修理と勉強に当てた。1993年4月18日にシドニーを再出発して、ブリズベンを出たのが4月28日なので、約2週間で持久力はついたのだろう。その頃には、背中の傷も治っていたので、全力で飛ばせるようになった。若さは素晴らしい。40歳の私が同じことをしても、こうは行かないだろう。40歳の私は数時間走ったり、サーフィンしたりすると、2、3日はなかなか疲れがとれなくなってきている。




それでも、毎日のトレーニングのおかげで、今も健康診断を受けると「アスリート心臓」と診断される持久力の塊の心臓を持っている。高校時代から、持久力だけには自信が持てるようになった。僕が通っていた高校では、毎年冬に持久走が何度か行なわれる。そして、総合でその年のチャンピオンが決まる。僕は水泳部に属していたが、冬の水泳部ほど暇な部活はない。だから、冬場はほとんど誰も部活にやってこない。あれは、高校生2年の持久走の大会の数ヶ月前だと思う。何故か、僕はその時、持久走の大会に向けて走り始めた。毎日毎日、部活があるべく時間に、拾った白いスニーカーで走った。先日、20年ぶりぐらいに高校時代の一番の親友に会って言われたが、僕は、突然何か始める変わった人だったらしい。

そして、その冬の持久走が大会がやってきて、何回かそこそこの順位でゴールしていた。そして、次の持久走で、気がついたら、のっぽでいかにもマラソン選手の体格でマラソンシューズを履いている陸上部の奴を抜いていた。今まで、彼を抜いたことはない。そして、あの拾った白いスニーカーを履いた僕が、思いがけずゴールのテープを切った。

「あれ、もしかして俺一番になった?」

今だに覚えている。誰も応援している人はいなかったが、その回の持久走で両腕を上げてテープを切って、一番になった。体育の先生も驚いただろう。最終的には、年間第3位になった。これといって、パッとしなくて運動も得意でない僕が3位の賞状をもらった時、クラスメートのほとんどは「なんでこいつが」って目線で僕を見ていて、僕は「してやったり」と思ったのを覚えている。

持久走はコツコツ努力するスポ根そのままの競技だ。そこでのコツコツは色んな所に伝染していった。あのテープを切った時に、初めて心底、「コツコツやれば、俺もやれるかも」と思った。そこから、「妥協しない自分探しプロジェクト」を発動させて、「20歳までに日本を一周、25歳までにオーストラリアを一周、30歳までにアフリカを縦断する」の3つの目標を建てたのだろう。そして、今まで書いたように、お金を貯めて、シドニーに来て、最初のマイルストーンであるブリズベンまでやってきた。一つ一つは小さな事だけど、自分の目標を達成した体験が自信につながっていった。


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