2013年12月15日日曜日

[J:9] 1993年4月22日~27日 旅行の定義の再定義  ~経験から得られた知識~


オーストラリアの東海岸、特にシドニーからブリズベンまでは、無理をしなければ食料、水、その他の補給物資に困ることは無い。一番楽な区間だと思っていたから、アウトバックに行くまでのトレーニング区間と捉えていた。トレーニング区間になったのは事実、楽だったのは嘘。この区間は道がアップダウンの連続で、何度も自転車から降りなくてはならなかった。だから、靴底はかなり擦り切れて、ボンドのような修正材で治す必要があった。それでも、自然環境が好きな僕は、日本列島改造論か、ケネジアン経済政策の為に、トンネルで穴ぼこだらけにされている日本の山より好きだった。汗だくで自転車を漕いでいる上に、車の交通も多いので、相変わらず交通事故を心配してさらに冷や汗をかいていた。


正直、シドニーからブリズベンは「自転車に乗ってペダルをこぐ行為」を楽しめる旅行ではなかった。それでも、旅行と考えれば、楽しいことはあった。誰が言ったか知らないが、旅行の定義は、「発見、出会い、そして、別れ」だろう。

Woombahのキャラバンパークを発見し、ジョンとジル夫妻に出会った。ジョンさんは強面の方だったが、とても親切で幸せそうな夫妻だった。彼らはテントやキャンピングカーで旅行する人たちの為のキャラバンパークを経営していたが、2日間泊まった僕が支払った金額は$8だけだった。とにかく、何でもかんでも食べさせてくれて、魚釣りにも連れて行ってくれた。ビーチを四輪駆動車で突っ走るのは、自転車とはスピード感が違って、気持よかった。オーストラリアに来て、初めて僕が好きなアウトドアのレジャーをした。そして、自転車で旅行している僕は、先に進まなくてはならない。だから、彼らに別れを告げて、ブリズベンを目指した。

日本を野宿旅行していた時も、多くの親切な人達に出会った。北海道の利尻島を歩いて回っている時に、力尽きて漁師の方の家に泊めてもらった。宮崎で台風の直撃を受けそうになって、小学校で野宿出来るところを探していた時(当時は小学校は社会に開放されていた)に、用務員の方の家に泊めてもらった。オートバイを壊した時、福岡のバイク屋さんは無料で直してくれて、そのまま泊めてくれた。その他、入隊を進めた自衛隊の方や、北海道で会って岡山で再開したライダーなど、見ず知らずの十代の僕を泊めてくれた方は沢山いた。

この様な行為におごってはいけないし、期待してもいけないと言われるが、英語も話せない異国人である20歳の僕を泊めてくれる人が、オーストラリアにいるとも心底思っていなかった。正直、オーストラリアに行くまでは、学校で白豪主義を勉強したのを覚えていたので、オーストラリアの人たちは怖いと思っていた。ジョンとジルに出会って、この様な好意を受けて、僕の考えは間違っていたとわかった。2005年にシドニーで人種間の暴動があった時に、私はちょうど現地にいたので、これは白黒とはっきり決められる問題では無いが、初めての海外で、教科書で学んだことだけが全てでない事がよくわかった。これは、その後、南アフリカや韓国を含む多くの異国に行った時にも同じように感じた。自分が経験したことが無い地域については、教科書やマスメディアからの情報が全てであり、「オーストラリア=白豪主義」のイメージが強かったのもしょうがない。自分で実際に経験すると、いろんな側面が見えてくるので、恐怖や憎しみは和らぐのだろう。ヘルマン・ヘッセがデミアンで書いているように、「恐怖や憎しみは、自分が想像した対象物に対してで、その対象物そのもので無い」ということだ。ブリズベンで、人種問題に主観があることを既に気づいて、そしてその事を感情的に捉えていないのは、40歳の私が見ても頼もしい成長だと思う。

僕は元来、倫理的な人間だとは思っていない。倫理は時代や場所によって変わるし、完全に主観的でない真実も存在しないと思っている。上から目線だが、20歳の僕が、インタネットや携帯電話が無い時代に、一人で世界に出たことは良かったと思う。旅行準備期間中もだったが、体験から得られる知識を充分に浴びれる旅行中に、インターネットを通して他人がフィルターした情報の集中砲火を浴びることがなかった。40歳の私がインターネットで得る情報は正しいか間違っているかに関わらず、90%はゴミだ。テレビは、オーストラリアに行った頃から今まで、ほとんど見る事はない。自分の目で見て感じた事を、自分の頭で処理していろんな事に気づいた。今では、インターネットをちょっと覗けば誰でも知っていることだったとしても、20歳の僕にとっては「大発見」の連続だった。

旅行の定義を、私なりに再定義します。

「発見、出会い、そして、別れ」でなく、「出会い、別れ、そして発見」だよね。

4 件のコメント:

  1. 「恐怖や憎しみは、自分が想像した対象物に対してで、その対象物そのもので無い」ということ。この前、よく分かりました。うまく生きるコツとして覚えておきます。

    私が思う訂正です。参考までにしてください。
    >車の交通も多く、相変わらず交通事故を気にして、汗だくで自転車を漕いでいるのに、さらに冷や汗をかくことが多かった。→汗だくで自転車を漕いでいるうえに、車の交通も多いので、交通事故を心配してさらに冷や汗をかいていた。
    >正直言って→正直、
    >強面の方→強面の方達
    >キャラバンパークを経営しているが→キャラバンパークを経営していたが、
    >、オーストラリアに居るとも→オーストラリアにいるとは
    >正直言うと、→正直、
    >2005年にシドニーで人種間の暴動があった時に、ちょうど現地で出くわしているし、→2005年にシドニーで人種間の暴動があった時、僕はちょうど現地にいた。
    >教科書で学んだことだけが、全てでない事がよくわかった。→、教科書で学んだことだけが全てでない事がよくわかった。
    >自分が経験したことが無い地域だと、教科書やマスメディアからの情報が全てだから、→自分が行ったことのない知らない地域については、教科書やマスメディアからの情報が全てであり、
    >自分で経験したら、いろんな側面が見えてくるので、恐怖や憎しみは和らぐのだろう。→自分で実際に現地で経験すると、いろいろな側面が見えてくるので恐怖や憎しみは和らぐのだろう。
    >「恐怖や憎しみは、自分が想像した対象物に対してで、その対象物そのもので無い」のということだ。→「恐怖や憎しみは、自分が想像した対象物に対してで、その対象物そのもので無い」とのことだ。
    >20歳の僕が、インタネットや携帯電話が無い時代に、一人で世界に出たのは良かったと思う。→20歳の僕が、インターネットや携帯電話が無い時代に、一人で世界に旅に出たことはよい経験だったと思う。
    >テレビはオーストラリアに行った頃から、今までほとんど見る事はない。→テレビは、オーストラリアに行った頃から今まで、ほとんど見る事がない。
    >旅行の定義の修正をします。→旅行の定義を、僕なりに修正したい。
    >「発見、出会い、そして、別れ」でなく、「出会い、別れ、そして発見」だよね。→「発見、出会い、そして、別れ」でなく、「出会い、別れ、そして発見」。

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    1. いつもありがとう。マーケティングも同じだけど、全てはイメージなんだよね。

      修正案を参考に、訂正しました。

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  2. 「恐怖や憎しみは、自分が想像した対象物に対してで、その対象物そのもので無い」のということだ。⇒「」の直後の【の】は削除ではないでしょうか。

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    返信
    1. リカさん、ありがとうございます。その通りです。修正しておきますね。今後とも宜しく!

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